東国剣記

東国の剣豪、武芸、中世軍記、そのほか日本の合戦諸々について扱うブログです。

【戦国負傷統計を見直す 補】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認 追加

【島原の乱の宮本武蔵】の記事が終わっていませんが、軍忠状・手負注文類で新たに石による負傷者を見つけましたので【戦国負傷統計を見直す】の補足として紹介しておきます。今回の二つはよくある「石疵」「礫疵」等ではなく、あまり多く使われない「当石」…

【島原の乱の宮本武蔵2】豊前中津藩の出陣者リストでは無傷の宮本武蔵

tougoku-kenki.hatenablog.com 前回の記事で島原の乱における一揆方の石による攻撃が平地での手ごろな石投げではなく、高所からの石落としという致命傷にもなり兼ねない恐るべき攻撃を含むものであったことはおわかりいただけたかと思います。 今回は手紙で…

【島原の乱の宮本武蔵1】島原の乱の石礫傷について

この【島原の乱の宮本武蔵】という項目は石礫による負傷を扱っており、【戦国負傷統計を見直す】1・2・3に関連した内容となっています。戦国時代の負傷統計に表れる石礫傷が実際にどういったものだったか詳しく知りたい方はそちらもご覧ください。 さて、…

【戦国負傷統計を見直す3】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認(後)

tougoku-kenki.hatenablog.com 戦国時代の全石礫傷の内訳を公開する記事の後半です。タイトルで結果は明らかにしてしまっていますが、高低差の確認できない石礫傷の割合が最終的に何%になるかは楽しみにしていてください。 さて、第一回・第二回で扱った石…

【戦国負傷統計を見直す2】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認(前)

tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は志川滝山城合戦という決して有名とは言えない中国地方の一攻城戦で得られたデータだけで、戦国時代全体の石傷の28パーセントを占めるという著しい偏りについて紹介しました。 今回と次回はそれ以外の戦国合戦における…

【戦国負傷統計を見直す1】戦国時代全体の石礫傷の4分1以上が天文21年7月23日に集中するという異様な偏り

戦国合戦の負傷の種類別統計があるという話をこの時代に興味をお持ちの方は大抵耳にしたことがあるか、あるいは実際にそのデータを見た機会があるかと思います。その統計は鈴木眞哉氏が『刀と首取り』(2000年3月21日初版第一刷)(※1)『謎とき日本…

【日本の投げ槍2】槍を投げた槍半蔵 ~戦国三河武士たちの投げ槍~ 付足・槍半蔵の太刀打ち

tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は江戸期軍学文献における犬槍という観念や投げ槍批判と読める箇所について紹介しました。今回は戦国生まれの三河武士たちが残した文献から、投げ槍に対する認識を見て行きましょう。これからの内容は戦国武士は投げ槍を不…

【日本の投げ槍1】江戸時代軍学における犬槍の観念・及び投げ槍批判について

精選版 日本国語大辞典「犬槍」の解説 kotobank.jpいぬ‐やり【犬槍】[名] (「犬」は卑しめていう語) 敵が不意に出て、槍で突くこと。また、柵またはみぞを越えようとする相手を突くこと、槍を投げつけることなどをいうこともあり、いずれも不名誉な行為とさ…

【クロスボウ1】第二回ラテラノ公会議カノン原文を見る限り特にクロスボウのみ限定で規制してはいない中世キリスト教会

とうとう東国や剣どころか完全に日本を離れた話題になりましたが、元々律令時代の弩やクロスボウなどを扱う予定があり、こちらはその関連として用意してあったものです。本題となるはずのそれらの記事が後回しになったのと、おまけのはずのこちらの調査が思…

【薙刀】薙刀の文献上の初出は?(後) 1040年『春記』の例はなぜ不確実な初見とされるのか 及び中世「刀」と呼ばれた短い刀剣と平安時代の「長刀(なががたな)」について

薙刀の初見に関する続きです。前回は久安6年(1150年)~平治元年(1160年)に編纂された『本朝世記』の久安2年(1146年)3月9日の記事を引き、『世界大百科事典』のいう薙刀の初見を確認しました。今回は近藤好和氏の『弓矢と刀剣』にある以…

【薙刀】薙刀の文献上の初出は?(前)

薙刀と言えば槍が普及する以前の武士の長柄武器の代表格です。その文献上の初出がいつかということについて今回確認してみたいと思います。まずは薙刀の初見についての情報及びその出典を見てみましょう。 https://kotobank.jp/word/%E8%96%99%E5%88%80-8573…

【『平家物語』の二刀流・補】行家や義貞が二刀を用いるとしない『平家物語』『太平記』の異本

これまでの【『平家物語』の二刀流】では『延慶本』や『覚一本』などの『平家物語』において源行家が二刀流で戦う場面があることや、それに関連して『太平記』において新田義貞が二刀を用いる場面があることを紹介しました。 しかし『平家物語』の一部語り本…

【『平家物語』の二刀流②】『延慶本平家物語』源行家の二刀流剣術(後)

前回は『平家物語』諸本の中でも古態を多く残すという評価のある『延慶本平家物語』において、平家滅亡後に鎌倉方から追われる身となった源行家が、捕縛のため派遣された常陸房昌命を相手に右手に三尺一寸の太刀、左手に鍔のない太刀を持つ二刀流剣術で戦い…

【刀剣】『北条五代記』関東長柄刀流行の傍証となる軍役文書?

後北条氏の遺臣・三浦浄心は『北条五代記』で、かつて戦国時代関東の若い輩の間で、柄を長く拵えた刀が流行したことを記しています。それは書かれた時代でいうところの鍵槍のように流行したものですが、この時代の人々の感覚では珍奇に見えたであろう刀のよ…

【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦の勝因とする幻想③】 『平家物語』諸本から根拠がないことを確認

tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は壇ノ浦合戦の基本史料から「『平家物語』以外に水手への攻撃を記す史料は無い」という情報の真偽についての確認を行い、実際その記述がなかったことを確かめました。今回はその水夫への攻撃が唯一記されているという『平…

【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦合戦の勝因とする幻想②】日記・史書・同時代文書などに壇ノ浦合戦の水夫攻撃の記述がないことを確認

tougoku-kenki.hatenablog.com 前回お話したように壇ノ浦合戦の源氏方による水夫への攻撃は、 ■『延慶本平家物語全注釈 第六本』(※1)・水夫への攻撃は『平家物語』諸本のみに見えるが ■『四部合戦状本平家物語全釈 巻十一』(※2)・『平家物語』以外に水…

【みね打ち②】戦国武士・剣豪・居合の達人によるみね打ちの逸話

前回はみね打ち(棟打ち)が古態を多く残すとされる『延慶本』を含む『平家物語』諸本や『義経記』などに見られるように、意外と古くから知られる攻撃手段であったことをお話しました。今回は近世文献に登場する戦国武士や武芸者たちによるみね打ちの話題を…

【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦合戦の勝因とする幻想①】序論:否定された幻想

日本史や歴史小説に興味のある方は、以下のように描かれる源義経のイメージや壇ノ浦合戦の展開を何がしかの形でご覧になったことがあるのではないでしょうか。 ■小説 司馬遼太郎・著 『義経』(※1) 1968年単行本刊行 該当回の雑誌掲載は『オール讀物』…

【塚原卜伝 補①】神道流「奥秘の一刀」で多人数を斬り殺した尾張の武芸者 及び 改良されたかもしれない「一つの太刀」

旧ブログでも反応の多かった神道流系統の奥義「一つの太刀」についての小記事です。そちらでは以下のように「一つの太刀」が松本備前守や塚原卜伝らを開発者とするものだけでなく、神道流の開祖である飯篠長威斎を起源とする説が江戸時代前期の地誌『古今類…

【みね打ち①】『平家物語』『義経記』のみね打ち

刀の刃ではなく、その裏側の峰で殴ることで命を奪わずに済ませる「みね打ち(棟打ち)」という攻撃手段ですが、これは近年の芝居や時代劇ドラマなどの都合から生まれたものではなく、中世・近世の文献を調べてみると意外と古い時代から見られるものであるこ…

【『平家物語』の二刀流①】『延慶本平家物語』源行家の二刀流剣術(前)

二刀流剣術と言えば一般的にはその代名詞とされる宮本武蔵の例など戦国時代以降の技術とイメージされることが多そうですが、『平家物語』諸本を見る限り、鎌倉時代に遡り得るか、遅くとも室町前期には発想の存在した戦闘方法であることもわかります。その戦…

【武芸用語で読む文献史料①】新当流「薙の太刀」の戦場使用を記した毛利家臣 及び鎧武者に対する足への攻撃について

戦国時代後期毛利家に仕えた武士・玉木土佐守吉保の自叙伝である『身自鏡』という覚書があります。成立は元和3(1617)年でこの種の覚書の中では比較的早く、また以下のように内容の点でも評価の高い文献史料です。 みのかがみ【身自鏡】毛利家の家臣玉…

再開のごあいさつ

以前はyaplogの方で「東国の剣豪たちや日本刀について」というテーマでブログをやっておりましたが、こちらで再開することにしました。 神道流系を中心にした東国の剣豪、剣術、そして日本刀に関しての調査や再検証という元々扱っていたテーマだけでなく、『…