東国剣記

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【クロスボウ1】第二回ラテラノ公会議カノン原文を見る限り特にクロスボウのみ限定で規制してはいない中世キリスト教会

 とうとう東国や剣どころか完全に日本を離れた話題になりましたが、元々律令時代の弩やクロスボウなどを扱う予定があり、こちらはその関連として用意してあったものです。本題となるはずのそれらの記事が後回しになったのと、おまけのはずのこちらの調査が思った以上に順調だったため先に仕上げることとしました。


 さて、中世ヨーロッパにおいて以下のようにキリスト教会がクロスボウの威力を恐れるだとか忌み嫌うだとかで使用を禁止させたような話はよく目にすると思います。

 

dic.nicovideo.jp 欧州においては、少なくとも古代ギリシャの時代から存在しており、軍事的に利用されていたようだ。
 11世紀頃には、「キリスト教的に残虐すぎるからクロスボウ禁止」と威力の高さから時の法王に使用禁止令を出されたりもしているが、「異教徒相手なら何も問題ないよね」とばかりに第3回十字軍で大々的に使用が始まり、13世紀頃にはイタリアの都市国家が大量に導入して全盛した。

 

 調べていくとその根拠は1139年第二回ラテラノ公会議において制定されたカノン29にあるとのことです(※1)。カノン(法)については以下参照。

 

世界大百科事典 第2版「カノン法」の解説

kotobank.jpカトリック教会の制定法,とくにカノン法大全またはカトリック教会法典の法をカノン法という。カノン法は教会法とほとんど同義である。しかし,広義の教会法にはカトリック以外の諸教会法や国家教会法も含まれる点で教会法と異なる。なお,カノンは尺度,規範,規則を意味するギリシア語kanōnに由来し,教会法の領域では,4世紀以来,教会会議,公会議の決議条項を指す用語として用いられた。教会の制定法全体をカノン法と呼ぶようになったのは12世紀中葉からである。 


 こちらの場合は公会議で決議された教会法と捉えればいいようです。また、参考にした論文からCanons of the Second Lateran Councilという英語表記も知りましたので、海外の話題ということもありそれをキーワードにして英語サイトを回ってみたいと思います。カトリック系名門私大のフォーダム大学のサイトにあるInternet History Sourcebooks Projectから要約と英訳文、さらにdeeplによる日本語翻訳を見てみましょう。


Medieval Sourcebook:
Tenth Ecumenical Council:
Lateran II 1139 
sourcebooks.fordham.eduCANON 29
Summary. Slingers and archers directing their art against Christians, are anathematized.
Text. We forbid under penalty of anathema that that deadly and God-detested art of stingers and archers be in the future exercised against Christians and Catholics.

 

www.deepl.comCANON 29
要約 キリスト教信者に対して技をふるう投石器と弓矢を禁忌とする。
本文 我々は、致命的で神に否定された刺客と射手の術が、将来キリスト教徒とカトリック教徒に対して行使されることを、アナテマの罰則のもとに禁ずる。

 

 どういうわけかクロスボウが見当たりませんが、一応それらしい武器を規制する内容が確認できました。しかし要約では投石器で本文訳では刺客だったり、どうにもはっきりしないところがあります。要約中のslingと本文中のstingのどちらかが誤字なのかもしれません。アナテマについては以下参照。「アナテマの罰則」とは禁忌に対するペナルティあるいはルールを守らない場合破門されるということでしょうか。

 

anathema の意味・使い方・読み方
eow.alc.co.jp【名】
1.呪い(の言葉)
2.忌み嫌われる物[人]
3.受け入れ難いもの[考え方]
4.《カトリック教会》破門


 今度は英語版Wikipediaから「Second Council of the Lateran」の記事を見てみます。

 

Second Council of the Lateran

en.wikipedia.org

Canon 29: The use of bows and slings (or perhaps crossbows) against Christians was prohibited.
www.deepl.com公文書29章:キリスト教徒に対する弓と投石器(あるいは十字架弓)の使用は禁止された。

 

 やはりカノン原文にはslingと訳せる単語が使われているようです。しかし投石器あるいはクロスボウという意味のブレがあるのはどういうことなのでしょうか?これはもう納得するためには英訳文経由で意味を取るのではなく、ハードルが高くなりますがラテン語の原文から確認してそちらの単語を直接見てみるしかありません。更に探してみるとwikisourceの方に第二回ラテラノ公会議で決定された教会法のラテン語原文がありました。今度はそれを検討しましょう。


Concilium Lateranum II
1139
la.wikisource.orgArtem autem illam mortiferam et deo odibilem ballistariorum et sagittariorum adversus christianos et catholicos exerceri de cetero sub anathemate prohibemus. 

 こちらがラテン語本文です。ラテン語の知識など皆無なので意味は全くわかりませんが、ありがたいことにgoogle翻訳ラテン語にも対応しているのでこれを日本語訳してみます。すると以下の通りになりました。

translate.google.co.jpそして我々は、バリスタと射手がキリスト教徒とカトリック教徒に対して行使することを、忌み嫌われながら、神に憎むべき致命的な芸術を禁止する.


 単体では日本語として意味の通らない文章ですが、先ほどまでの英訳文と併せるとだいたい言いたいことは見えてきます。単語を見て行くと我々にも耳なじみのあるバリスタやサジタリアスなどに通じる要素を持つballistariorumとsagittariorumがバリスタと射手と訳せる単語のようで、やはりそれらがキリスト教徒とカトリック教徒に対して使用されることを禁止するような条文となりそうです。ではその二つの単語を個別に詳しく調べましょう。ラテン語の単語の意味についてはWiktionary英語版を参照します。

 

ballistariorum - Wiktionary
Noun(名詞)
genitive(属格) plural(複数形) of ballistārius


 教会法本文にあるballistariorumはballistāriusの「属格・複数形」とのことなので今度は大元のそちらに飛びます。属格は英語でいうところの所有格のようなものだそうで、例えば「生命の水」などというときはvīta(生命)が属格のvītaeになり、aqua vītaeと前にあるaquaを修飾する形に書かれます。そのballistāriusを見てみますと、

 

ballistarius - Wiktionary
Noun(名詞)
1.One who makes ballistae(バリスタを作る人)
2.One who operates a ballista, a slinger(バリスタを操作する人、投石兵)
3.(medieval) bowman(中世の弓兵)


 ballistariorumはその属格とのことなので、バリスタを作る人(の)、バリスタを扱う兵士(の)、あるいはそこから派生してクロスボウ兵(の)として取ってもよさそうな単語となるようです。2にはa slingerともあるので、なぜ英語サイトで投石兵や投石器の禁止と訳されることがあったかもこれで納得できます。訳を見る限りその技術がキリスト教徒に行使されることへの規制なので、より直接的な意味と考え1の製作関連ではなくそれを用いる2,3と見た方がいいかもしれません。


 続いてsagittariorumです。これも先程同様sagittāriusの属格・複数形とのことなのでそちらに飛びます。

sagittariorum - Wiktionary
Noun(名詞)
genitive(属格) plural(複数形) of sagittārius

sagittarius - Wiktionary
Noun(名詞)
1.archer, bowman(射手、弓兵)
2.fletcher, arrow-maker(矢を作る道具、矢を製作する人)


 こちらも同様に射手などの弓を扱う人やその作り手を意味するものでした。

 

 単語の意味と性質がわかりましたので、ラテン語の場合前にある名詞を修飾する属格であることを意識し、改めてballistariorumとsagittariorumの前の部分をgoogle翻訳で日本語にしてみます。

 

Artem autem illam mortiferam et deo odibilem
translate.google.co.jpしかし、その芸術は致命的であり、神にとって憎むべきものです

 

 大雑把に考えてballistāriusとsagittārius”の”技術は致命的であり神にとって憎むべきものであるからキリスト教徒に対しては規制されるべきだというような意味になりそうです。

 

 以上を踏まえていくと仮にballistariorumをクロスボウ兵(の)という意味で取ったとしても、弓兵(の)もセットになっているのでクロスボウの威力を恐れたというより弓矢の類がキリスト教徒に使われるのを禁止したい意図を推測できます。あるいはballistariorumが投石兵(の)だった場合は石や弓矢の類という当時の戦場の飛び道具全般の規制とみなせます。

 

 いずれにしても、この条文からクロスボウだけが特筆され規制されたと見るのは無理な解釈なのではないでしょうか。ballistariorumをクロスボウ兵(の)として取り、中世キリスト教会がクロスボウを恐れて規制したと見るなら、同時に弓兵(の)=sagittariorumも同じように恐れられて規制されたとみなすべきでしょう。


 以上、ラテン語がわからないなりに英訳文を見たり原文を翻訳エンジンなどで訳して気になる単語を拾ってみた限り、第二回ラテラノ公会議カノン29は、クロスボウのみを限定して非難し規制した教会法ではないという結論です。

 

 クロスボウは巧みな機構により人力で弓を引いた場合を遥かに越える威力の矢を放つこともできる非常に優れた投射兵器ではありますが、それはともかくとして中世キリスト教会はピンポイントでこれのみを忌み嫌い規制したわけではなかったということがわかりました。どれだけ優れた武器であったとしても、この点に関してクロスボウは若干伝説に彩られていたとも言えるではないでしょうか?


 今回はブログのテーマにそぐわない中世ヨーロッパのクロスボウというテーマを扱うことになりましたが、冒頭に書いたように日本の律令時代における弩やクロスボウ(わざわざ二つ書くのも理由があります)に関する記事も準備中です。また、日本において「弩」がいつからなぜ「いしゆみ」と読まれるようになったかも調査中で、ある程度結論が出せそうになってきました。そちらもお楽しみに。

 

参考文献:
1:榎本珠良・著『武器移転規制と秩序構想』

http://www.isc.meiji.ac.jp/~transfer/paper/pdf/01/4_enomoto.pdf